原民喜詩碑

2016年5月28日

この碑の由来

原民喜(1905-1951 詩人・小説家)は、40歳時に広島市幟町(爆心地からおよそ2キロ弱)で被爆しました。
原爆による被害の悲惨さに加え、前年に愛妻と死別していた民喜は、悲しみ、絶望、孤独の中、自らの被爆体験を後世に伝えることを使命とし、いくつもの作品を作り上げました。
代表作の一つに「夏の花」という作品があり、被爆直後ににしたためられていた原の日記をもとに執筆され、上京後、文壇に発表されました。
発表後、現代日本文学史上最も美しい散文と絶賛され、1948年の第1回水上滝太郎賞を受賞しています。ところがそのわずか数年後の1951年、東京、西荻窪において鉄道の線路上に横たわり自らの命を絶ちました。
この詩碑は、1951年11月15日、原と親交のあった文人たちによって故人をしのんで建てられたもので、もともと広島城址におかれていましたが、心ない人々の石投げの的とされたことから、現在の場所に移設されたということです。

碑銘
原 民喜

遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻


原民喜詩碑